ヒップホップダンスを基本から学んで、27日間でプロ並みに上達する方法。

ダンスにまつわるエピソード(その4)

(※とある男性の手記です)

 

ヒップホップダンサーを目指す少年がいた。

 

父親は大企業の役員、母親はとある著名な外科医の娘、ということで、裕福で何不自由ない生活を送っていた。当然、そこにはしかるべきレールが敷かれ、それに沿って人生を突き進んでいくものと両親も期待していた。ダンサーを目指すのは、もちろんヒップホップの魅力に取り憑かれたからではあるのだが、そんな境遇と両親の期待に対するアンチテーゼでもあった。

 

当然、少年が自らの夢を告白した際の、両親の反応は複雑極まりなかった。怒り、悲しみ、絶望、嘆き、怨嗟、怨念、悲憤慷慨・・・。その類いのありとあらゆる単語を並べても、まだまだ足りないくらいの感情が渦巻いていた。両親はそれを、ストレートに少年にぶつけた。要するに、「私(たち)がどれだけお前のために・・・」というやつである。何だか、ドラマなどでよく目にする光景であった。

 

少年は家を飛び出した。そして、不良グループに入り浸り、荒れた生活を送るようになった・・・と来れば、それこそまさにドラマの筋書きとしては正統かつ無難なものではあるが、少年はそうはならなかった。何と、毎日のように、ヒップホップダンスの魅力と、その可能性を、つぶさに両親に説いていったのである。インターネット上にあふれる動画を見せたり、ダンサー活躍の雑誌記事を読み聞かせたり、時には自らのダンスを披露したり・・・とにかく、ありとあらゆる素材を駆使しながら。

 

初めは全く耳を貸さなかった両親も、いつしか少年の話に聞き入るようになり、眼を輝かせて夢を語る我が子の表情に慈しみを感じるようになった。そしてついに、父親が根負けした。

 

分かった。とりあえず、やってみろ、と。

 

ただし、学業を始め、他のいかなるものをも疎かにしないという約束の上でだった。そして何より、本気でやれ、とにかくそれ一本で飯が食えるようになれ、というのが、父親からの譲れない条件だった。大企業で役員をしている生粋のビジネスマンにとって、飯が食える食えない、要するに生業として成り立つのかそうでないのかというところは、大きな判断ポイントとなるようだった。少年はもちろん、素直に全てを受け入れ、決意を新たにした。

 

彼は今、夢に向かって、ひたすら驀進中である。

 

トップページに戻る